本日から毎週水曜日、全13回にわたって、現音副会長の福士則夫による「チビテッラ日記」を連載致します!
●第1回「飛行機に乗るゾ!!」
はじめに—–
2008年、出来ればあまり乗りたくない飛行機に搭乗してしまいました。なぜならイタリアのローマより北東、ウンブリア地方にある15世紀中ごろに建てられた城で60日間過ごせるという、願ってもない依頼が飛び込んできました。スイスのマダムが芸術家の集う拠点にと、私財を投じて買い取ったもので、1年を春から四期に分けて小説家や詩人、画家、陶芸、染色、作曲、映像作家など、もの作りの芸術家たちを対象に招聘し、食事つきの自由な生活を提供しています。「話」も「飛行機」も乗らない訳は有りません! 以下はその時の日記です。少し長いのですが気楽に読んでいただければと思います。(福士則夫)
2008年6月、チビテッラ・ラニエリ財団からの招聘を受け、久々にイタリアの地に足をおろしたのは留学時代に小旅行して以来30年数年ぶりである。
6月17日午後7時、まだ明るいローマ空港に到着してから、日常会話程度のフランス語しか話せない一人の東洋人の戦いが始まる。空港で、インフォメーションで、バス停留所で、ホテルフロントで、朝食のビュッフェで、交通整理の婦人警官に対してでさえ当たり前なのだが此処はイタリア、フランス語で話しかけても首をすくめるだけ。目の前を絶え間なく人は流れているにもかかわらず何故かフリーズしてしまったような孤絶感を味わいながら。
そもそもイタリアでフランス語を話そうとする発想自体がおかしいのであるが、想定していた異国での言語のハードルは想像を絶して高かった。遠く高く真っ青に晴れ渡った空の下、今にも相手に噛み付きそうに追いつめられた顔つきの東洋人に、自分の貴重な時間を消費させたくないと思ったかどうか、バス乗り場の場所さえいい加減な答えに振り回され右往左往しながら出発5分前でようやく正しい答えを貰えたのは、観光バスの大きな窓ガラスをモップで清掃していた年配の渋いイタリア人が指し示す指先。すぐにでも出発しそうなペルージャ行きの長距離バスSulgaに飛び乗り、ギアを入れて発進する運転手にもう一度行き先を確認。
途中大きな街を通ったがそれが多分ローマ市内なのだろう。空港から延々3時間半以上かかけて終点のバス停前で降りると、NORIOと書かれたボール紙を持って出迎えてくれた世話役のディエゴは、英語・フランス語・スペイン語の堪能な坊主頭の陽気なイタリア人で、詩人。ようやくペルージャの地まで辿り着いて、初めて人間としての心が通ったような感覚に、思わず感激する。(つづく)
★次回「孤独な生活」予告
外見埃だらけの車に乗り込むと、去年の招待者であったソウメイ(佐藤聰明)を知っているかと早速聞かれる。車窓から見る風景は石造りの町並みから田園風景に変わり、オリーブ畑が左右にうねって見える…
更新は8月10日(水)です。お楽しみに!